ヒップホップミュージックの歴史【Dj, Rap, Break, Graphic】
ヒップホップは街角のアンダーグラウンドな世界から始まり、今や世界中で最もポピュラーな音楽ジャンルであり、一つのカルチャーとして成長してきました。
今回はヒップホップミュージックの歴史を文化的な側面も交えながら触れていきたいと思います。
ヒップホップとは?
ヒップホップは音楽ジャンルだけに留まらず、様々なアートを取り入れたカルチャーとして成長しました。
元々の大きなHIPHOPカルチャーとしては次の4つが上げられます。
- DJ / 音楽
- MC / ラップ
- ブレイクダンス / ファッション
- グラフィックアート / ビジュアル
これらの表現方法がサブカルチャーとしてさらに独自に進化していき、4つの大きな要素が交わりながら、爆発的に世界中に急速に広がることになります。
HIPHOPカルチャーの世界的な影響として現在も、音楽スタイル、ファッション、テクノロジー、アート、エンターテインメント、ダンス、政治、メディアなど多くのものを形成しています。
街角から始まった文化が、今もなおメインストリームとして日常に溶け込んでおり、新しいアートフォームとして多くの世代の生活に影響を与えています。
HIPHOPの起源
ヒップホップは1970年代にニューヨーク市のブロンクスから生まれたサブカルチャーで、その発展に伴っては急速に変化する経済の悪影響を受けています。
この時代のニューヨークは製造業の衰退と高速道路の建設によって経済崩壊の真っただ中で、中階級の多くの人達は、社会、経済的な問題から逃れるために郊外に移りました。
この移住により多くの隔離されたコミュニティが生まれることになり、特にアフリカ系アメリカ人、プエルトリコ人、カリブ海からの移民が目立つ地域では、さらに経済状況が悪化しました。
さらなる経済悪化は犯罪、暴力団、貧困の増加をもたらすこととなります。
そして多くの企業は閉鎖的な対策をとり、雇用機会とエンターテイメントを失くし、その結果都会に住む若者達は自己表現の場をストリートへと向けます。
ガレージや空き地、廃墟となった建物はパーティー会場となり、これらの場所ですべてのヒップホップカルチャーの基礎を築き上げることになります。
DJやラッパーはジャマイカから流れてきた持ち運びできるサウンドシステムを取り入れ、ブレイクダンサーは段ボールをダンスフロアに、レンガの壁は落書きのキャンパスとなりました。
ヒップホップの第一人者
多くの人達がヒップホップ文化の基礎を築き上げてきましたが、最も重要な人物として「DJ Kool Herc」の名が挙がります。
歴史的にも始めのヒップホップパーティーとして1973年に「Back to School Jam」を妹と共にブロンクスのアパートで開催しました。
ジャマイカのダブミュージックから取り入れられたミキシングテクニックの「ブレイクビーツ」と呼ばれるDJテクニックもこのときに使われました。
・ブレイクビーツ
ブレイクビーツは、ドラムの演奏をカセットテープの輪の様に切り貼りして、ループ演奏したり、レコードのドラム部分だけをスクラッチで演奏したりしたもの。
Kool Hercはパーカッシブなファンクやソウルをペアのターンテーブルを使用し、同じ2つのコピーを再生しながら切り替えることでブレイクビーツスタイルを確立します。
このスタイルのDJは後に「The Merry-Go-Round」と呼ばれ、ヒップホップミュージック、ラップ、ブレイクダンスにも大きな影響を与えました。
ブレイクセクションはダンスミュージックの中でも最も期待の高まるポイントで、ダンサーはサークルを形成し、ブレイクセクションの為に最高のムーブをキープします。
Kool Hercは自身の音楽に合わせて踊る人達のことを「B-Boys、B-Girls」と名付け、時が経つにつれファッションやダンスシーンに大きな影響を与えるサブカルチャーに発展しました。
ヒップホップ制作
1980年代の頭にヒップホップミュージックは重要なターニングポイントを迎えます。
楽曲制作に必要なシンセサイザー、サンプラー、ドラムマシンが今までよりも入手しやすくなり、伝説的な名器であるRoland社の「TR-808」が登場します。
このTR-808の存在は大きく、2020年現在も世界のトップチャートの多くの楽曲で使用されているドラムマシンです。
→【伝説のドラムマシン】Roland「TR-808」発売40周年記念!
これにより音楽プロデューサーはDJのブレイクビーツに頼らず、オリジナルビートの作成ができるようになりました。
同時期にサンプリング技術も発展し、Linn 9000、E-mu SP-1200、AkaiMPC60等が登場し、DJ達はこれらの機材を使って実験を始め、曲の切れ目で繋ぎ合わせたり、セクションの再配置、配置の順序付け、編集、ミキシングを行います。
ここでRemix文化が生まれます。
さらに新世代のサンプラーの登場で、メモリ、サンプリングレート、編集機能が向上し、そこからサウンドのレイヤー化、ループ、シーケンス、エフェクトのようなテクニックも誕生します。
ヒップホップ黄金期
制作機材の進化もあり、1980年代半ばから1990年代頭にかけて、ヒップホップは全国に勢いよく広がり、この時代はヒップホップの黄金期として知られるようになります。
レコードレーベルもヒップホップジャンルを新たなトレンドとして認識することになり、多額の資金を投入し、
地元のラジオ局やクラブDJからの需要に応えて、非常に速いペースでレコードをリリースしていきます。
ヒップホップミュージックはまだ実験的な段階ではありましたが、新世代のヒップホッププロデューサーがより高度なドラムマシンとサンプラーを利用して、ヒップホップミュージックを次のレベルに引き上げることに成功します。
そして、この黄金時代の決定的な特徴の1つとしては、サンプリングされたサウンドの多用です。
音楽のサンプリングを保護する著作権法が無かった為、アーティストは法的な罰則を受けることなく、さまざまな音源ソースからサンプルを抜き取ることができます。
その範囲はジャズからロックミュージックまで、さまざまなジャンルのサンプルをキャプチャしており、音楽だけに留まらず映画やラジオからも使用されていました。
多くの人が、多様性、影響力、文化の革新、そして大物アーティストの成功をきっかけに、この時代はヒップホップにとってのターニングポイントとして認識されています。
まとめ
ヒップホップの歴史について起源から90年代までの、もっとも盛り上がりを見せた時代について触れました。
今現在もヒップホップミュージックは音楽シーンのメインストリームとして確固たる地位を確立しています。
歴史を知ると音楽ジャンルとしてだけではなく、その背景には経済不況がもたらした文化的要素が根強く存在することで、世界中の文化に影響を与える力を持ち続けていることが分かります。
2020年の世界の経済状況もまた、冒頭で述べた70年代の急速に変化する経済の悪化と同じような状況です。
もしかすると、これからまた新しい音楽カルチャーが生まれてくるのかもしれません。
以上、「ヒップホップミュージックの歴史【Dj, Rap, Break, Graphic】」でした。